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サンデン交通設立90周年特設ページをご覧いただき、ありがとうございます。
こちらのコーナーでは、山陽電気軌道・サンデン交通にまつわるちょっとしたコラムを掲載しています。

下関にあった球場と遊園地

 平成25年9月14日に関門海峡沿いのあるかぽーと地区に「はい!からっと横丁」がオープンしました。また、隣には「しものせき水族館海響館」もあり、観光スポットとなっています。実は山陽電気軌道でもその昔遊園地を運営していました。

 最初に開業したのは外浦遊園地です。大正14年6月に長府外浦の土地約二町二反五畝二九歩、約22,000㎡の土地に小動物園・花壇等の施設を経営しました。その後は豊浦高等学校の敷地として利用されました。

 昭和4年4月には鳥居前電停・バス停近くに長府野球場が完成しました。総面積1万坪、収容人数はスタンド3000人、外野5000人でした。昭和6年11月24日にはアメリカ大リーグ選抜チームの試合が開催され、グローブ・ゲーリックといった現在では野球殿堂入りをしている有名選手らが参加しました(結果は八幡製鉄8-17大リーグ選抜)。

 また、長府球場の隣接地には昭和7年4月に長府楽園地が開場しました。昭和7年に発行された『山陽電軌沿線案内』には「西日本の宝塚と称呼されて、近在は素より遠く北九州方面各都市の人士行楽の一楽園として殺到殷盛を極る」と紹介されています。大庭園、九十尺(約27m)の大滑り台・シーソー・廻転盤などの遊具や、約30匹の猿がいるモンキーハウス、また大浴場・映画館・演芸館がありました。しかしながら戦局の拡大により軍需工場として神戸製鋼所長府工場が建設されることから、昭和13年8月に長府球場・楽園地ともに閉鎖されました。

 戦後は長府外浦に下関水族館が開設されたのを機に再び遊園地の経営に着手し、昭和32年3月21日に長府遊園地が開園しました。長府黒門の敷地には近隣の遊園地にはない目新しい観覧車・メリーゴーランド・オクトパスといった遊具が、水族館の隣接地には食事・休憩・土産物販売などを行なうサービスセンターがありました。昭和34年には催事を開催する山電パークも開設されましたが、山電パークは翌35年に閉園し、昭和58年にはその跡地に下関市立美術館が開館しています。

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長府楽園地 全景長府遊園地 全景(昭和35年ごろ)

 

白玉稲荷に見守られ

 東駅のサンデン交通本社にお越しいただくと、まず朱色の鳥居が目に入るかと思います。このお稲荷さんは白玉稲荷と呼ばれ、昭和7年4月1日に当時の社長であった林平四郎氏が京都伏見稲荷からご神体を受けられ、山陽電気軌道が経営していた長府楽園地(現在の神戸製鋼所長府工場)の開設を機に祀られました。

 しかしながら戦局の拡大により神戸製鋼所長府工場が軍需工場として建設されることから、昭和13年8月に楽園地は閉鎖され、一時ご神体は長府の白玉稲荷に預けられました。

 昭和42年9月には再び弊社の守護神として長府遊園地(現在の下関市立美術館)にお迎えし、昭和52年11月、東駅に現在のサンデン交通本社ビルが完成した後、昭和53年8月に本社ビル屋上に祀られました。その後、皆様に親しくご参拝いただきたいとの思いから昭和58年9月には玄関前に移設され、今日に至っております。

 お稲荷さんは近世各種産業の発達にともない、商売繁盛の守護神として崇められてきました。交通会社である弊社は、亀山八幡宮様より交通安全祈願をご斎行いただき、お札を納めていただいております。

 サンデン交通本社にお越しの際には、是非お参りいただくことを希望いたします。

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白玉稲荷(サンデン交通本社玄関前)

廃止のあとで・・・路面電車のその後

 昭和46年2月6日をもって電車は廃止されましたが、その後山陽電気軌道の路面電車はさまざまな場所で活躍しました。

 301号車は下関市長府の忌宮神社境内の西側鳥居近くへ設置され”電車集会所”として活用されました。また、601号車は下関市立下関図書館に寄贈され、こどもたちの読書室として活用されました。残念ながら老朽化のため、301号車は昭和49年6月に、601号車は平成8年1月にそれぞれ解体撤去されています。

 一方で車両7両が高知県の土佐電気鉄道へ譲渡され、引き続き路面電車として活躍しています。平成17年にはその内702号車が有志の方々により土佐電鉄の塗装から山陽電軌時代の塗装に復元され、約2年間「ふくふく下関号」として運行されました。

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昭和46年2月 路面電車廃止下関図書館の電車読書室(「サンデン交通80年史」より)
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営業廃止の記念乗車券・ご利用感謝しおり

「東駅」の由来

 弊社の最寄りバス停は?と聞かれれば「東駅バス停です」とお答えしています。地元の方は聞き慣れていて特に意識されないかと思いますが、県外から来られるお客様より「駅のそばですか?」とご質問を頂いたことがあります。今は東駅という名の鉄道駅はなく、下関市内にも東駅という町名は存在しません。

 大正3年に長州鉄道によって東下関駅から幡生を通り小串までの鉄道が開設されました。大正14年6月に幡生-小串間は国有化されたため(後の山陰本線)、東下関駅-幡生間に電車が走っていましたが、昭和3年に山陽電気軌道が長州鉄道を合併しました。翌4年には東下関駅-唐戸間が新たに開通し、電車の一拠点となりました。

 電車は昭和46年に廃止され鉄軌道の駅としての東下関駅はなくなってしまいましたが、略して「東駅」としてバス停名だけでなくお店の名前にも「東駅店」と入るなど、現在でも地域の皆様に親しまれています。

 また、唐戸方面から東下関駅までは軌道(主に道路に線路が敷設される路面電車のこと)と、東駅から幡生駅までは鉄道と分類されていました。運転士OBの方のお話によると、軌道と鉄道では法律が異なるため、運転操作や標識の見方など覚えることがたくさんあり、倍苦労されたとのことです。

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在りし日の山陽電気軌道 東駅の様子現在の東駅バス停広場「東駅ひだまり」

 

電車の開業日は大正?昭和?

 山陽電気軌道株式会社は大正13年9月27日に設立されましたが、それから更に2年をかけて長府から下関に至る国道2号線の改良工事と併せて電車の軌道敷設が行われました。
 沿革でも写真をご紹介しましたが、最初の電車8両は大八車に載せて、国鉄長府駅より牛と馬に引かせ、のらりのらりと運んだそうです。

 そしてついに大正15年12月25日の開通を迎え、午前10時より開通報告祭を長府松原車庫にて挙行する予定でした。しかし、この日の深夜に大正天皇が崩御され、新しい元号が昭和と発表されました。
 そのため山陽電軌は大正時代の最後の日、昭和時代の最初の日に開通したといえます。

 翌昭和2年3月27日からはたくさんの花輪と電燈をしつらえた「花電車」が運転され、4月9日に改めて開通祝賀式が挙行されました。

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写真は昭和3年4月の長関第二期線(松原~壇之浦間)の開通式の風景

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